君がいなくなった日
3月は別れの季節らしい
僕もまたその季節の犠牲者なのだろうか
いや、犠牲者という言い方は語弊がある。
全部自分の行動のせいだ。それは自分が一番よくわかっているはずだ。
最初は完全に遊びだった。今だったらそう認められる。
ただ、君の顔・見せる表情・匂い・体・笑い方がちょっと面白いところ・仕事で疲れている僕を包み込んでくれるところそういった要素に知らない間に惹かれていった。
いろんなところに僕を連れ出してくれた。それもまた新鮮だった。
だから別れを告げられた時に動揺したい、引き止めたくてあんなに必死だった。
君と結婚したらを真剣に考えた。
たぶん、金銭的な部分は大丈夫なんだろうとは思っていた。
ただ、未熟な僕には「それ」を受け止めることは出来なかった。
君はそれを受け止めなくてよいと言ってくれていたけど。
そんなことはない。一緒の生活をする上では避けられないし、絶対にしこりが残る。
それに僕はいろんなことが怖かった。
だから、外部の要因を言い訳にしていたんだと今なら思う。
もし自分が働けなくなったら。
君が病気になったら。
君は働いていなかったし、その事がお互いの価値観の違いに大きな影響を及ぼすとも考えた。
君の両親のこと
僕の両親との関係性
自分の悲観主義に嫌気がさす。
自分に絶対的な力があったら。
痛いほど再認識したのは何より自分が未熟だということ。
自分の時間が何より大切。
君もワガママだったけど。それは恋人によせるワガママさで僕のそれとは違う。
僕のは人を傷つける。
自分の時間が一番。
仕事も踏ん張りどころだったし、タイミングも悪かったのかもしれない。
全てに余裕がなかった。
別れを告げられた時にセラビ(C'est la vie)なんて笑って言えてパリッと関係を終わらせることが出来たらよかった。
自分中心じゃなくて僕を思ってくれる人に対してやさしさや思いやりを持って接することが出来るようになろう。
次は、笑って君に会いたい。
PS.君は認めないだろうけど、ただ君にも絶対悪いところはあったとは言っておこう(笑)